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オープンラボ:未来を変えるソーシャルデザイン

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株式会社HAGI STUDIO の宮崎晃吉さんをお迎えしてお話を伺いました。
舞台は今も古い街並みが残る東京の下町・谷中エリア。
東日本大震災の後、取り壊しが決定した築60年のアパート「萩荘」を最小文化複合施設「HAGISO」として再生させた宮埼さん。

そこから派生した宿「hanare」はグッドデザイン賞金賞を受賞し、トリップアドバイザーでも最高評価を得ています。
「HAGISO」という建物がどこまで大きなムーブメントを生み出せるか。
いろんな人たちと協力してチャレンジし続ける現在までの軌跡をたどりながら、
宮崎さんの考え方やプロジェクトへの関わり方に触れ、
「未来を変えるソーシャルデザイン」の手法に迫ります。

 

ーGuest Speaker 宮崎晃吉(みやざきみつよし)氏

株式会社HAGI STUDIO 代表取締役
大学院修了後、アトリエ系設計事務所に務めた後、2011年の東日本大震災を機に独立。建築家・デザイナー・プロデューサーとして活動しながら、自社事業として飲食・宿泊事業を展開。東京藝術大学美術学部建築家教育研究助手。

 

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1.HAGISO」が生まれた経緯

事の始まりは宮崎さんの大学時代にさかのぼります。2000年から空き家状態だった「萩荘」を東京藝術大学の学生たちが修繕し、2006年から住居兼アトリエとして利用していました。宮崎さんもその住人のひとり。当時は毎夜知らない人たちが訪ねて来ては飲み会が繰り広げられていたといいます。

 

その後、大学院を卒業した宮崎さんは有名設計事務所で大きなプロジェクトに携わっていましたが、2011年の東日本大震災をきっかけにくすぶっていた想いが爆発。「何かしたい!」と、すぐに退職してボランティアに参加したものの、建築家であっても何もできない無力感が募ったと言います。そんな時、震災の影響もあって谷中の古い建物や銭湯が次々と取り壊され、萩荘もその例外ではなくなりました。せめて萩荘の記憶を刻みたい、建物への感謝の気持ちを表現したい、ということで「萩荘」のお葬式として、アートイベント「ハギエンナーレ」を企画したのは2012年2月のこと。そこにあったものが無くなるということを実感してもらえるよう、柱や釘でアート作品を作ったり、床を剥がして空間を演出したりして、前代未聞のお金を使わない展示会を開催したところ、3週間で1500人が来場するという大反響を呼びました。その様子を見ていた大家さんが、萩荘の新しい未来を後押ししてくれることになりました。

 

そうは言っても、萩荘の復活を成功させるには、資金と将来性を明確にした事業計画が必要。建築がどうお金を生み出すのかを大家さんに分かりやすくプレゼンするため、宮崎さんは3本立ての事業計画を用意したといいます。

 

更地にして「新築アパート」にした場合の費用と採算性
●更地にして「駐車場」にした場合の費用と採算性
●建物を活用して「リノベーション」した場合の費用と採算性

 

この中で利回りが圧倒的に高いのはリノベーションでした。さらに家賃を激安だった時代の二倍程度に引き上げ、改修費用を5年で回収するなど、全体の費用を管理して大家さんのリスクを軽減。資金調達は日本政策金融公庫からの借入とクラウドファンディングを利用。ハギエンナーレの実績もあって公庫からの借入が通り、当時のクラウドファンディングで90人から70万円も集めることができました。また工事費用を安くするほど家賃を安くできることから、なるべく自分たちも作業に加わることに。こうしてHAGISOプロジェクトが始動したのです。

 

テーマは「最小文化複合施設」。

HAGISOは巨大な公共施設でもなければ、巨大資本の複合施設でもない。身の丈に合った私営の小さな公共施設にしようというものでした。2階には自らの設計事務所とヘアサロン。1階にはカフェとギャラリー、そして使用料不要のレンタルスペースでは音楽やダンスの舞台、子供の読み聞かせ、アートイベントなどいろんなことで利用でき、人が集えるようにしました。そして2013年3月、オープ二ングパーティーには200名が来場し、大盛況となりました。しかし、その後はほとんど客が来ない日々が続き、運転資金もすぐに底を尽きかけたといいます。想定していたイメージと現実とのギャップを埋めるようにして、カフェや店頭に立ってお客様の様子を見たり、売り上げをチェックして、調整を繰り返し、現在は週末になると行列ができるまでの賑わいを生み出しました。

 

 

 

 

2.hanare」「TAYORI」への派生

谷中の町において一つの建物にすぎなかった「HAGISO」から、町全体と結びついて誕生したのが、町のホテル「hanare」と、食の郵便局「TAYORI」。きっかけは、大家さんの檀家さんの娘さんの結婚式でした。ぜひHAGISOでやりたいと言われた時、ここでやる事の意味や、町との関わりを改めて考えたといいます。当日は、嫁入り行列のようにご近所さんを練り歩き、町中で祝福するという演出で見事成功。ここから、町の人々との関わりを意識するようになったそうです。そしてもう一つ、偶然目にした1981年の日本映画「の・ようなもの」。谷中を舞台に落語の世界を描いた青春映画ですが、主人公の落語家が住んでいたのが萩荘でした。そして、この映画の中で現存する建物は萩荘だけ。たった30年間で町はすっかり変わってしまったけれど、萩荘があるこの通りの風景は人々の思い出と紐づいていると実感した時、「何の価値もないと思いきや、そうじゃない。もう少し、何かできないか」と、ものの見方を変えるきっかけになったといいます。自分も10年住んでいたからこそ分かる、谷中の魅力と課題を整理し、この街の良さをきちんと伝えたい。その想いが原動力となりました。

 

町のホテル「hanare」

「町全体を一つのホテルとして捉え、町に泊まろう。」、hanareは、そんな発想から生まれたプロジェトです。このホテルの大浴場になるのは町にいくつかある銭湯、レストランになるのは町にあるたくさんの飲食店、みやげ屋になるのは町の商店街です。客室になる宿泊棟を新たに創り、町にあるコンテンツを繋いで、このネットワーク全体をhanareとすることにしました。とは言っても客室にふさわしい物件はすぐには見つかりません。粘り強く探し、これはと思う物件にたどり着くとまずはそこの大家さんを探し当て、手紙を書いてコンタクトを取ったのだとか。そして、大家さんだけがリスクを抱えることのないよう、家賃前払いで10年間の借款契約を結ぶことで、みんながリスクをシェアしようと提案。建築基準法、旅館業法、消防法と、法的手続きを全てクリアにし、5部屋の旅館「hanare」が2015年にオープンしました。宿泊客にはチェックイン時に20分かけて丁寧にこのホテル(町全体)についての説明や、文化体験を含めたここでの過ごし方を伝えていくのだそうです。

 

食の郵便局「TAYORI」

hanareの朝食は「旅する朝ごはん」といって、スタッフ自らが地方を回って生産者と繋がり、そこから食材を仕入れて地元ならではの美味しさを提供することで宿泊客からも大好評。一方で、メニューを半年ごとに変えるため、生産者との関係も半年ごとに途切れてしまうという現状がありました。これを継続的な関係にできないかということで、2017年にオープンしたのがお惣菜とお弁当と珈琲の店「TAYORI 」。継続的な仕入れだけでなく、これまで食材と一緒に届いていた生産者からの手紙を店内に掲示し、食材を味わったお客様も読むことができて手紙を書くこともできる、そんな「食の郵便局」をコンセプトにしました。ここで年間500通のやりとりが生まれているといいます。「野菜がめちゃくちゃ美味しかったから、直接ありがとうを伝えたい。」そんな些細な気持ちからつながることを大切にし、それを観光客向けでなくまずは町の人たちに受け入れられ愛させるお店になるよう、最初は町の人たちだけにPRしたといいます。

 

 

3.全国に広がる「まちやど」

「日本まちやど協会」には全国で20軒の登録宿があり、宮崎さんと同じモチベーションで街づくりに取り組んでいる人たちがいます。「まちやど」とは、まちを一つの宿と見立て、宿泊施設と地域の日常をネットサークさせ、まちぐるみで宿泊客をもてなすこと。暮らしと観光のあいだで、地域の価値を向上していくという役割があります。このような仕組みは江戸時代の宿場町と同じ。町全体で客人をもてなすのは、本来の日本のツーリズムなのだと言います。

 

まちやどの条件として

●ゲストをつなげる、まちのコンシェルジュがいる。
●まちの人とのコミュニケーションが最大のコンテンツである。
●まちにちゃんとお金が落ちて、まちが潤う仕組みがある。

 

そのお金がどこに落ちるのか、つまりその土地で経済が循環しているかどうかで判断される地域経済付加価値。宮崎さんの手がける「hanare」は、従来型のホテルに比べて5倍の地域経済付加価値があるといいます。また、町の人の空いた時間を活用することで、運営経費を削減するとともに地域の雇用を生み出すことや、町の日常にある価値を見出し、そこでしか体験できないものにしていくコンテンツ作りなど、他エリアでの具体的な事例とともに「まちやど」のあるべき姿を示してくれました。そのまちにどんな人を呼び集め、どこへ連れて案内するのかが基点になる。宿の仕事は、町の交通整理なのだといいます。

 

 

 

4.宮崎さんの手法

HAGISO以外にも、多方面で様々なプロジェクトを動かす宮崎さん。すべてのプロジェクトに共通する宮崎さんの手法を最後にまとめてみました。

 

1.自分ゴトとして考える

町を変えるのはシステムではなく、突破する当事者意識を持った個人や連帯。他人事と思っている人たちの町は、いつまでたっても他人事で変わらないのだといいます。その町に自分事として考え取り組む人たちや、不動産オーナーと長期的な観点での共有ができてこそ、その人たちと関わりたいと強く思うのだとか。そうしてその町の価値を高める方向に動き出した時、自分たちの町が楽しくなるかもしれないと、町の人たちも自分事として協力してくれるようになるのだといいます。

 

2.自分でもリスクを負う

自分も当事者になれば、他人事にはならない。そして補助金に頼らず、自分たちが身銭を切る事で覚悟を見せれば、まちの人たちも協力してくれる。プロジェクトには宮崎さん自身も出資。そこまでしてまでやるのは「プロジェクトを待っているだけとか、設計料をもらうだけではなく、設計の元となるプロジェクトを自分で作って動かし、長い目で一緒に育てていきたい」から。これからの建築家像とは、社会の情勢に振り回されず、社会に対してアクションを起こし、それが価値ある事だと思ってもらえるよう自分の仕事を生み出していける人だといいます。

 

3.すでにあるものの見方を変える

いわば頭の中をリノベーションする。価値ないものが宝となり、価値が反転する時代です。観光とは無縁と思われている町にこそ可能性があり、その日常にこそ価値があるとして、すでにあるものの見方を変えることから始まるのだと。テレビも風呂もないhanareの部屋は不便かもしれない。その圧倒的不便さを「付加価値」でなく「負荷価値」として追求し、ここでしか体験できないものにする。ここにしかない場所・関係を作り、1つの強い点を打つ事で求められる存在になるのだといいます。

 

「世界に誇れる日常を生み出す。」ことをコンセプトに、その土地にある文化を醸成していきたいとチャレンジし続ける宮崎さんの言葉の端々にリアリティを感じることができました。

 

 

 

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これまで大手企業のトップダウンの組織から、小さな集団が、横で連なるコミュニティーが乱立する時代が来ると言われています(※)が、正にその典型だと感じた内容でした。

日本は70年代-90年代まで、豊かさは画一的なものでした。有名大学に入り、大企業に入り、豊かな暮らしを手に入れることが理想の風景だったでしょうし、激しい受験戦争はこうした背景から生まれたものです。

しかし、物質的な豊かさが満たされるにつれ、人の幸福像にもそれぞれの形が存在し、多様な価値観が生まれてきています。働く側もその商品を手にする側も、大きな企業組織の画一的な考えに当て込まれるのではなく、それぞれの価値観にフィットした組織で活動(労働)をし、自身にあった商品を選び取るという社会が来ているのではないでしょうか。こうした中で最も重要になるのは、自身の価値観「どう生きたいか?」です。とても難解な質問です。

宮崎さんは、その時その時でやっていたらこうなったと仰っておられましたが、何かが起こる度、「自分ならどうするか?」を問うてこられたのではないでしょうか。一人ではできる限界がある、だからこそ同じ考えを持つ仲間と共に考え、創るという活動は、これからの働き方へのヒントになると感じています。

 

引用
(※)山口揚平 「未来の世界で「お金」より大事になるもの」2019年5月

 

 

 

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