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イベントレポート

オープンラボ:“ちのかたち” で考える、これからの社会

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住宅や集合住宅をはじめとする様々な建築物を手がけるほか、公共施設の老朽化と財政問題を背景とした住民参加型のマネジメントや市街地再開発のコーディネートなど、公共プロジェクトにも数多く携わる藤村龍至さん。建築を「知識と形態の創造的な関係=“ちのかたち”」としてとらえ、自身の設計プロセスを確立。先にコンセプトを立ててから街を作るのではなく、スタディを重ねた末に、コンセプトは最後に浮かび上がるものだと言います。ゴールを決めずにフィードバックによる着実なステップを踏むこと。藤村さんの設計プロセスや作品などを通して、次世代の社会をつくる建築のあり方、考え方について伺いました。

 

藤村龍至氏
建築家/東京藝術大学准教授、RFA 主宰
建築家。1976年東京生まれ。2008年東京工業大学大学院博士課程単位取得退学。2005年より藤村龍至建築設計事務所(現RFA)主宰。2010年より東洋大学専任講師。2016年より東京藝術大学准教授。2017年よりアーバンデザインセンター大宮(UDCO)副センター長/ディレクター、鳩山町コミュニティ・マルシェ総合ディレクター。住宅、集合住宅、公共施設などの設計を手がけるほか、公共施設の老朽化と財政問題を背景とした住民参加型のシティマネジメントや、ニュータウンの活性化、中心市街地再開発などのデザインコーディネーターとして公共プロジェクトにも数多く携わる。

 

 

1.建築家の役割とは

1980年代は自治体も企業も明快なビジョンを持っていて、そこで必要とされる建築が政治や経済とちゃんとつながっていて、建築家の役割はとても分かりやすかったと藤村さんは言います。
例えば1949年-1969年に神戸市長を務めた原口忠次郎は、山を削った土で海を埋め立て神戸ポートアイランドを造成し、削られた山の後をニュータウンとして開発する際、トンネルで山と海をつなぎベルトコンベアで土砂を搬送した後下水道として使うことを発案しました。いわゆる「山、海へ行く」と呼ばれた事業です。原口さんは大学で土木を学んだ工学博士で技術センスを持った政治家でした。藤村さんは、そんな原口さんのようなアーキテクトに憧れ建築を志したのだそうです。

「1995年の阪神・淡路大震災はショッキングな出来事でした。建築家が出来ることは何なのかを改めて問われてしまった。2011年の東日本大震災でも、被災地で「あなたは何をしてくれますか?」と聞かれても、自分は何も答えられる気がしなかった。一方で、アートや人文社会学系の人たちは素早くプロジェクトを立ち上げ経験をビジュアルや言葉にしていた」

そうした人文・社会学系の友人たちの影響で、問題を大きく捉えるようになったという藤村さん。今の時代の建築が迎えた曲がり角を乗り切るために、建築家は何をすべきか。東日本大震災以降、藤村さんは福島の原発被災地のリサーチに参加し、建築のスケールを超えた問題と向き合いながら、自分がやるべきことを模索しました。そして、双葉町役場が福島県から埼玉県へ庁舎機能を移転するというニュースを聴きながら、その2点を結ぶ軸線をさらに延長すると浜松や沖縄を通ることがわかりました。原発、郊外化、移民、基地など、その軸線上には日本の近代化の問題が集積していることに気づきました。そこでこの軸線を“問いの軸”と名付け、これに建築家として答えるにはどうしたら良いのか考え始めたのだと言います。

こうした中、福島で一つのプロジェクトを行うことになります。福島県南相馬市の小高区をベースに活動する起業家の和田智行さんに出会いました。和田さんは震災後、家族と共に会津若松に避難しますが、2014年に小高で避難区域初のコワーキングスペース「小高ワーカーズベース」事業を開始。その後、食堂「おだかのひるごはん」(2016年3月閉店)や仮設スーパー「東町エンガワ商店」、ガラスアクセサリー工房「HARIOランプワークファクトリー小高」をオープンするなど、住民帰還の呼び水となる事業の創出に取り組まれていました。コワーキングスペースやアクセサリー工房とともにゲストハウスもつくり、「起業家同士が集い、新しい事業をインキュベートしながら発信できる基地のような建築を作って欲しい」と依頼を受け、それらを形にしたのが、「小高パイオ二アヴィレッジ」です。コンセプトは、「しごとの工場」。丹下健三が第二次世界大戦後の広島で平和記念資料館を「平和の工場」というコンセプトで設計したことになぞらえて考えたのだそう。いくつかの機能が複合されていますが、突き当たりがなく、ぐるっと一周できるつくりが特徴。レクチャーを受けた人びとがアトリエを見学し、その後ゲストハウスをめぐり、最後にシェアオフィスにたどり着く、ひとつながりの動線をつくり、建築を訪れる人や使う人どうしが自然と出会い、すれ違うように設計しました。

 

※問いの軸。福島、埼玉を結びそこから延長すると、静岡、沖縄と繋がる。福島は原発、埼玉は郊外、静岡は移民、沖縄は基地という現代の問題が集積しているエリアの軸になる。

 

 

 

2.超線形プロセスという手法

Do not Jump(飛躍しないこと)
Do not Split (枝分かれしないこと)
Do not Back (後戻りしないこと)

「超線形設計プロセス論」というのは「飛躍しない、枝分かれしない、後戻りしない」というルールを原則として設計していく方法論のことです。ゴールのイメージを最初から描かずに、模型をひとつ作るたびに何かをひとつだけ修正するという作業を無数に繰り返すようなフィードバック型の設計方法手法です。ワークショップのブレストで、最初はつまらないアイディアがたくさん出てくるのは当たり前のこと。そのつまらない最初のアイディアをどう発展させていくかが重要なのだと藤村さんは言います。

出てきた意見をまずは反映させてみる。それを見て気づいたところを変えていくという繰り返し。一度手を止めて、引いて見て、そこに課題を見出していく。課題に対しての答えを曖昧にしたまま進めず、一つの課題に対してきちんと答えを出す。そこから次の課題を見つけてその答えを出す。そうして発展させていく。一つずつを確実に見ていくことで、解くべき問題が見えてくるのだといいます。


▲一般的なデザインのプロセス (様々な内容をインプット、統合した後、アウトプットするプロセス)。

 

 


▲超線形プロセス(一つのインプットに対して、一つのアプトプットを繰り返し、発展していくプロセス)。

 

 

事例1:BuildingK
東京都内の商店街に計画された集合住宅と店舗からなるビル。まずは、最初に決められるところから決め、単純な形を作り出しました。その単純なヴォリュームを出発点とし、専門家たちとセッションしながら模型を作り、問題を解決するというプロセスを繰り返し行いました。
このデザインプロセスを振り返ると、40案の模型を作成するうちに21項目の条件が設定されてきたことがわかってきました。そしてその条件は、最初は大きいものからやがて狭いものへと変化していきました。


▲BuildingK(2008年, 撮影:鳥村鋼一)

 

 

事例2:大学での授業
2010年から大学に着任し、建築設計の演習の授業を専任教員の立場で担当するようになりました。様々な先生が150名くらいの学生を一斉に教える授業では、10人の先生で分担して14, 5名の学生を見ながら授業を進めていくのですが、講評会に選ばれるのは10名くらいで、選ばれた学生は次の課題も頑張るので次第に同じ学生が何度も選ばれるようなことが起こります。そうすると大多数の学生のモチベーションが下がってしまうという悪循環が起こっていました。

そこで、先生が学生作品をどのように評価するのか、それを学生にオープンにするということを行いました。それと同時に、学生も作品を評価します。学生と先生の評価は一致しない傾向にあるのですが、なぜそこが一致しないのかを議論したりしました。
評価のプロセスがクローズになることで、「選ばれた学生は先生と仲がいいから」、「同じ研究室だから」など、選ばれなかった学生はときに理由を詮索したり、卑屈になってしまいます。選考過程をオープンにすることで公平性が生まれ、授業も活気のあるものになりました。

 

 

 

3.“ちのかたち”で考える

大学での事例を経験し、これは一般の公共施設の設計者の選考でも似ているのではないかと感じた藤村さん。公共のプロジェクトでもこの方法を応用していきました。

 

事例1:住民自らがプランナーになる「鶴ヶ島プロジェクト2012」
高度成長期に人口が大量流入し、様々な公共施設が一気に整備された典型的な郊外都市である埼玉県鶴ヶ島市。現在は住民の高齢化とインフラの老朽化が進み、近い将来に財政難が予想されています。この状況で、行政と住民の間に大学が入り、学生たちが住民の方々たちと解決案の作成を行ったのが「鶴ヶ島プロジェクト」。住民は5回のパブリックミーティングに参加し、設計プランの更新作業を見ながら意見し、学生は住民の意思を汲み取りながら設計プランに反映させていく。回を重ねるごとに生産的な雰囲気になり、少しずつ発想を磨きながら、集合知を生かす手法が確立されました。


▲学生が住民にプレゼンテーションし、いいと思った案に投票するという仕組み。鶴ヶ島プロジェクト(2011-2016)。

 

 

 

事例2:街の人を動かしてプロジェクトを進める「おとがわプロジェクト」
かつて城下町・宿場町として栄え、三河の中心であり続けた愛知県岡崎市。第二次世界大戦後の戦災復興事業とともに整備されたインフラや建物が老朽化し、さらに市街地にあった百貨店などの撤退と郊外にできたショッピングモールの影響で、中心市街地の衰退が進んでいます。この状況で、中心市街地を含めた乙川リバーフロント地区の整備計画を公民連携型で進めているのが「おとがわプロジェクト」。市民を巻き込んだワークショップやシンポジウムからスタートし、河川敷や道路、公園という公共空間を使いこなすための社会実験が行われ、まち全体を試しながらリニューアルするプロジェクトになりました。


▲シンポジウムの様子。おとがわプロジェクト(2015-)。

 

 

事例3:インターネットの画像検索で椅子をデザインする「Google chair 」
対話からの設計と比較する試みとして、世界上位9カ国の言語で「椅子」をGoogle検索し、そこに現れた椅子の画像をもちいて各言語圏でイメージされる椅子をビジュアル化した「Google chair」。


▲Google chair の展示(2014年、撮影:藤村龍至)。

 

 

同じ手法を住宅の設計に応用した「Google House」は、郊外のニュータウンなどで建てられている商品化住宅のデザイン・パタンが似通っていることに対して皮肉を込めた批評のつもりでしたが、実際に「これを建てたい」というデベロッパーが名乗りをあげて、実際の商品として実現しました。商品化住宅の企画が行き詰っていると感じた担当者の方々が自分たちが30年かけてやってきたことを振り返るきっかけになったようです。

これらの事例を通じて、建築を「知識と形態の創造的な関係=“ちのかたち”」として捉え、機械による計算なども伴いながら、多くの人が関わって対話を重ね、より良い解を目指す「集合的な知」をつくる。この方法論が「社会のさまざまな課題解決に向けた知のツール」になるのではないかと藤村さんは言います。

 

 

4.学生実施コンペの意義、建築家の道

これまでのアイデアコンペ全盛から一変し、近年では学生による実施プロジェクトや、ソーシャルなプロジェクトが増えてきました。「大学が活躍するのは社会の転換期。プロジェクトの発注の仕方が変わろうとする時、大学であれば柔らかいクッションの役割を果たしてくれます」
またこうした時代の中で、建築家の道は2つに分かれていくのではないかと藤村さんは言います。
一つは、国内での役割。新築は無くなるというのは紋切り的な見方で、むしろ2020年代から40年代くらいにかけて1960年代から70年代にかけて竣工した老朽化した建築物を大量に更新(建て替え)する必要が出てくる。ただ全ての床を更新できるわけではないので、投資する先を選ぶ合意を形成する必要があり、政治性が高まるため高いコミュニケーション能力が求められると言います。
もう一つは、海外での役割。国内は市場が縮小するので新しい市場を求めて海外に展開するようになるでしょう。福島を起点とした“問いの軸”をさらに延長させると「今後の日本の建設産業の答え」として、インフラの輸出先となる台湾やインドネシアなどがあります。ここに日本のまちづくりを輸出していく。戦後70年以上にわたって日本が行ってきたインフラを、発展途上のアジア地域にフィードバックしていくことも、一つの道だと言います。
国内での市場が縮小していく中で、建築家として自分の進むべき方向性を描きながら、建築家としてあるべき姿を追求していって欲しいと学生たちにエールを送りました。

 

▲希望の軸。問いの軸を延長するとシンガポールやジャカルタへ到達する(撮影:新津保建秀)。

 

 

考察

様々なインプットに対する対応を時系列に落とし込む“超線形プロセス”。そして、このプロセスを通じて得られる“ちのかたち”としての建築。今後の建築のあり方だけでなく、あらゆる問題解決の手法に応用できることが考えられます。重要なポイントは、建築家だけでなく様々な立場の人が参加でき、意見ができるということ。専門家が専門の職をすることでものが創られる時代は終わり、新たな局面がきているのかもしれません。

実施する上でのポイントは、
1)誰しもがわかりやすいように見える化すること
2)ヒアリング、分析、編集能力に長けていること
だと感じました。専門用語での会話には専門家しかついていけません。様々な立場の方が意見できるようにするには、【模型を見せて分かりやすくアイデアを可視化させること】、建築でない場合は、【共通の言語を使ったり、絵やグラフで、そこにいる全員が分かるようにすること】が必要です。
同時に、沢山の意見があるということは、雑多な意見から本質を見出す力が必要なんだと思います。意見をカテゴライズして深めたり、共通する何かを導き出したり、最終的には建築へ落とし込むだけの力が必要です(実際に、学生コンペの審査会の藤村さんはそのように皆さんの意見を纏められていました)。

つまり、このような新たな試みを行う上で、専門領域での知識や経験も必要ですが、それだけのスキルでは不十分であるということ。情報化社会の中で、簡単に情報がとれる中、新たな何かを創り出すには、様々な立場の意見が必要であり、建築家(専門家)自身はその意見を表出させ、まとめるだけの力が問われているように思います。

 

 

主催:中電不動産株式会社
協力:株式会社デンソー
企画・運営:未来デザインラボ(株式会社ラ・カーサ、1/ 千、SUVACO 株式会社)

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