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オープンラボ:1階から考える未来のまちづくり

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株式会社グランドレベルの田中元子さんをお迎えしてお話を伺いました。

人が一人立てるだけの小さな屋台を引いて、あらゆる場所に出没。道ゆく人に声をかけては、無料で珈琲などを振る舞ううちに、そこで生まれるコミュニケーションこそが、街の活性化につながると実感。社名でもあるグランドレベルとは、1階のこと。

人々が行き交う1階のデザインによって、街がどう変わっていくのか!?
田中さんのプロジェクトや海外の事例を見ながら「1階から始めるまちづくり」の手法に迫ります。

 

ーGuest Speaker 田中元子(たなかもとこ)氏

株式会社グランドレベル代表取締役
独学で建築を学び、専門家と一般の人々をつなぐメディア発信やプロジェクトをスタート。2010年から建築啓蒙活動となる「けんちく体操」を、2015年から1階の可能性を探る「パーソナル屋台」を開始。2016年に“1階づくりはまちづくり”をモットーに、株式会社グランドレベルを設立し現在に至る。

 

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まずは、田中元子さんの冒頭の言葉から紹介します。

 

ー“完璧な人がいないように、完璧な街はない”ということを知っていて欲しいんです。だからこそ、自分たちはどうありたいのかを考えなければならないと思っています。
人口が多いとか、財源が豊富であるということではなく、そこでどう生きているか、どんな街のあり方か、ということの方が魅力的に感じたり、人が求めるものだったりするものだと思っています。つまり、自分たちはどうありたいのかを考えなければならないということです。そして、それを考え、話し合い、ビジョンを共有し、それを実現するために行動することがまちづくりです。これをサポートするものが建築であり、プロダクトであると思っています。お仕事でいらっしゃっている方も多いかと思いますが、今日はひとまず肩書きを置いておいて、素の自分であなた個人にとって、しあわせとはどうあることかを考えながらお付き合いください。

 

 

 

 

 

1.なぜ1階が大事なの?

田中さんは、”1階づくりは街づくり”というコンセプトの元、プロデュースやコンサルティングを行っています。
ではなぜこんなにも1階が大事なのでしょうか?

一般的に、地面=パブリック、建物=プライベート と捉えることができます。地面は地球の一部であり人々が行き交う場。その地面の上に、私の家、私のオフィスという形で、建物はプライベートな存在として、地面の上にあります。
“まち” と言われるものは、この中のどこに当たるか考えてみましょう。目を瞑って見て、まちをイメージした時私たちはどこを思い浮かべるでしょう。私たちが立って自然と見ている光景、これが “まち” と言えるのではないでしょうか。人の目線は上下70°と言われますが、これを考慮して考えると、“まち” とは、1階とグランドレベルがクロスする辺りということができます。即ち、“まち” =グランドレベル。

そしてこのグランドレベルは、プライベートとパブリックの交差点であると言えます。たとえ私の建物ですよと主張しても、その1階は否が応でも誰かの目に飛び込んでくるものであり、場合によっては誰かが入ってくるところでもあるセミパブリックとも言える特殊な領域であると考えています。これは2階以上の空間では言うことができません。そして、ここに人が集まることが、まちを生き生きとさせる要素として重要だと考えています。

一方で、グランドレベルには、社会的な問題を解決する鍵があるとも考えています。様々な社会問題は、人と人との間、人とまちとの間で発生しています。グランドレベルは、人々が行き交う場所であり、人とまちが接触する場所。だからこそ、グランドレベルを健全に保つことが、こうした問題の解決することに繋がっていると考えています。

 

 

2.実際の街はどうなっているか?

では、私たちの周りにある実際のまちの風景はどうでしょう。
人の気配がない水辺、公開空地、公園、シャッター街など見かけることはあるのではないでしょうか。人が消えてしまうということはありませんから、グランドレベルにいないということは、建物の中にいるんです。マンション、ファミレス、ショッピングモールなど。それでいいという人も居るかもしれません。ただ、まちを考える上で、本当にそれは健全な姿なのでしょうか。

 

 

3.人口が多いから賑わいができる訳ではない

デンマークのオーフスという街を例に考えてみたいと思います。オーフスは、コペンハーゲンに次ぐ第2の都市。人口密度はわずか683人/㎢。この人口密度は、日本の茨城県大洗町と同じくらいですが、街の賑わいを見るとびっくりします。

この写真を撮影した日は特別な日ではありません。なぜ人口密度683人の街で、こんなに人の姿があちこちで見られるのかというと、人々の居場所がいろんなところに作られているからです。そこで過ごす時間が心地良いからやって来るのであり、そのように空間をデザインしているからです。上の写真でいうと、ところどころに人が座れる椅子がデザインされていたり、1階の店舗に飲食店が多かったりしています(もしかすると街にそのようなルールがあるのかもしれません)。この川は1970年代まで地下に埋められた状態(暗渠)でした。コンクリートの蓋がされ、その上を車が行き交っていましたが、1970年代に車中心の社会から、自転車や歩行者中心の社会にしていこうというコペンハーゲン市の取り決めを真似して、蓋を取り払いました。こうして、水面を眺めながら、街灯の光を眺めながら、ここに佇むことが居心地が良い空間を創り出しているのです。ここで言えるのは、人口が多いから賑わうとか、人口が多いからいい街だとは限らないこと。街の賑わいは、人口の多い少ないとは関係なく、人の居場所をデザインすることで生み出せるものなのです。

 

 

4.1階が変わることでもたらす効果
1階を変えることで、経済的効果もあると言われています。ロンドン交通局、パートレット建築大学によると、人が過ごしやすい空間づくりとビジネスの業績向上は関係があることが明らかになったのだそうです。ロンドン南東部のブロムリー区というところで、ベンチを置いたり、人が過ごす場所を作った結果、歩行者数が93%増加。人々が通りで過ごす時間も長くなり、買い物をしたりカフェに行ったりといった行動は216%増となりました。歩行者と来店者の数が増えたお陰で、貸店舗の賃料は7.5%上昇、空き店舗は17%減少したと言います。

 

 

5.1階の在り方に、世界も着目

デンマークコペンハーゲン市の最新観光戦略では「観光の終焉」、スウェーデンでは「国全体が民泊」を掲げています。「この場所には〇〇があって素晴らしいですよ!来てください!」という戦略ではなく、自分たちの日常が誇れるものであり、その日常を感じに来てくださいというものです。この日常の多くはグランドレベルであり、そこを整備することに力を入れています。
また、世界中の都市や通り、様々な場所を改善するソースをインターネットで公開している”The City at Eye Level”では、 1階は建物全体の10%の広さでしかないけれど、人が経験することの90%は1階で起きていると言っています。私が会社を作り、「1階づくりはまちづくりと」と掲げた時には、そんなこと当たり前じゃないかと言われました。けれど、これだけ世界中で1階について重要視されているということは、1階づくりはまちづくりということができていなかったからかもしれません。

 

 

6.マイパブリックと能動性の発露

1階の専門家になるきっかけとして、2つの出来事があります。
一つは、趣味で始めた「パーソナル屋台」。道ゆく人に声をかけて、無料で珈琲を振る舞っていると、あっという間に屋台の前は人でいっぱいになるんです。一度に100杯分の珈琲豆を用意していくわけですが、数時間で無くなってしまいます。でもたった数時間、街に立っただけで、人と街と私がつながり、これまでにない公共的な関係が生まれるわけです。つまり、私が公共が作れる、マイパブリックを作ることができるんです。
私の他にも、マイパブリックをやっている方がいました。公園で水を使って絵を描くアツシさん。彼は、傘の先にスポンジを付けて巨大な筆を作り、絵を描きます。家から公園までかなり遠いのに、無償で絵を描いて、子供達を楽しませています。
もう一人は、千代田区のネギシさん。ネギシさんは玄関先に、灰皿を置いています。ポイ捨て禁止の貼り紙をしても効果がなく、逆にココに入れてねということで灰皿を置くようにしたそうです。ポイ捨てがなくなったことはいいことですが、非喫煙者のネギシさんにとって何のメリットがあるのでしょうか?千代田区は喫煙ルールが厳しく、こうした公共的な灰皿を置いておくと、喫煙者が自然と寄ってきます。その輪の中心に、ネギシさんはいました。「あんたの会社、引っ越すの?」、「仕事の帰りなの?」、周辺のサラリーマン事情が誰よりも分かる程になっていました。そう、ネギシさんは話好きだったんです。ここで重要なのは、人のため、まちのためではなく、自分の好きでやっているということです。
その好きは人それぞれで様々な形があり、好きなことだから、愛情を持って管理されたり、提供することを楽しみ、自分からまちに参加することができると思っています。これまでは整備されたロマンチック街道のようなものがまちづくりと言われてきましたが、私はこうしたマイパブリックが表出することが、一つのまちづくりの道筋になると思っています。

もう一つは、神田にある4000平米の土地で企画した「URBAN  CAMP  TOKYO」です。東京電気大学の広大な跡地に3日間何かやってという依頼から始まったイベントです。当時、物書きだった私は、腹をくくって好きなことをやることにしました。キャンプが好きなわけではなく、普段暮らしている東京の街をバーンと抱きしめたいという願望を叶えるために、キャンプと組み合わせてたイベントを企画しました。けれど、東京のコンクリートジャングルをキャンプ場にしたわけですから、自然も何もない場所では飽きるのではないかと、神田町歩きツアー、神田出身ミュージシャンのライブ、神田の神輿を担ごう!などなど、神田を感じたり、もっと知ったりすることができる様々なイベントとワークショップを用意しました。
ただ残念なことに、キャンプ自体には参加者がいたのにも関わらず、誰も参加してくれなかったんです。
最初は、参加者の好奇心が低いからなのでは!と思いました。けれど、私の考えが間違っていたんです。
なぜならキャンプへ来た人たちは、イベントで与えられる楽しさよりも、この何もない環境を自分の見立てで使いこなす楽しさを求めていたからです。私はそこで、彼らの能動性を発露するきっかけづくりをするだけ、キャンプ場という環境を用意するだけでよかったのだと学びました。



 

7.1階で始めた「喫茶ランドリー」

ある時、築55年になるビルの1階をどうしたらよいかと相談を受けました。隅田川から近い下町ですが、次々とマンションが建って人が増えているはずなのに、人の姿を見なくなってしまった地域です。以前の工場や倉庫があった時の方がまだ人がいたのにも関わらずです。不健康ですよね。隣の人が分からないということではなく、隣の人同士が関わりを持てるような場所にしたいと思いました。近所の人たちがお茶する場所くらい欲しいなと考えた時に思い浮かんだのが、コペンハーゲンを旅した時に偶然入った「ランドロマットカフェ」というカフェでした。入り口すぐに、可愛らしい設えのカフェがあり、その奥に所狭しとランドリーがありました。洗濯をする間に子供と遊んでいる奥さんその脇でPCを広げて仕事をするご主人、新聞を広げるおじいちゃんなど、多種多様な人がそれぞれ好きなように時間を過ごしている、素朴で気取らない雰囲気がある場所です。これと同じように、あまねく人々に取って自由な寛ぎのある場所にしたいと思いました。そして、前述した人の能動性を発露する場所、(自分が他者が)自由・多様・許容しやすい環境をつくりたいと思いました。

 

 

 

8.補助線を引くということ

この喫茶には、もちろん全自動ランドリーが置いてありますが、ミシンやアイロン台もあります。ちょっとしたミーティングやワークショップができる大きなテーブルもあります。訪れた人がここの価値を発掘してくれるように、「自由で・多様で・許容しやすい」環境をつくったのです。その公共性から、オープンして半年の間に100以上のアクティビティが実行されました。ミシンの使い方講座や、サラリーマンの勉強会、歌声喫茶などなど、すべてお客様の持ち込み企画です。好きなように空間をアレンジし、人々がこの空間からアイデアを思い付いてくれる。人の能動性を引き出すための補助線をきちんと引くことで、こうした状況が自然と生まれてくるのです。


では、補助線を引くとはどういうことなのか?補助線のデザインは3つの要素だと思っています。機能・サービスといったsoftware, 空間・環境・視覚・体感といったhardware, それからコミュニケーション、組織化というorgwareです。今までは前半の2つの項目に触れてきましたが、私はこのorgwareもとても重要だと思っています。この前半の二つの使い方をサジェストしたり、臆する人の背中を押したりすることがこれに当てはまるのですが、この場を上手く躍動させる、血流のような役割を果たしています。

 

以前に手がけた公開空地のイベントを例に見てみましょう。
クリエイティブな体験に満ちた複合施設として2017年にオープンした「渋谷キャスト」の2周年で、1階の公開空地を利用したイベントの依頼がありました。ここでも、与えて受け取るだけのイベントではなく、人の能動性を引き出したいと考えました。そこで、「これは何だ?どう使うんだ?」っていう家具をいくつも置きました。すると、みんな勝手に使い出すわけです。人工芝を敷いたエリアでは、芝生を何かに見立ててあらゆるアクティビティが生まれていました。ここの家具をデザインした建築家には、日常との境界を感じさせないことを意識して欲しいと伝えました。日常の延長で、一本何かを渡したり、何かを足すだけで違う体験を提供したり、当たり前に過ごしているようで能動性を発露するものを作って欲しいとお願いして、作ってもらいました。

更に、私はここに人を置きました。フリーのマジシャンやDJ、ミュージシャンです。彼らには、単に手品を見せたり、音楽を聴かせることだけではなく、必ず観客が逆の立場になって手品や音楽を提供できるようにしてくださいとお願いしました。結果、子供達はじっくり手品を見てそれを話し合いながらやったり、DJブースからはガチャガチャした音が流れたり、観客がライブをしたりと人々の能動性が爆発しました。もう片付ける時間なのに、まだ遊んでいる子供達がいる、そんな大盛況なイベントでした。

 

 

 

9.「喫茶ランドリー」の今

喫茶ランドリーは、2016年のオープンから3年が経とうとしています。地域の人々が自由に使い、寛げる私設公民館を作りたいと始めた事業ですが、現在も地元の人たちによって次々と新しいアクティビティが生まれ、様々なコミュニティが広がっています。店内には持ち込みの花や植物が勝手に飾られていたりします。それも嬉しいことです。これからも自分たちの空間として、どんどんアレンジしていってもらいたい。こんな風に補助線をちょっと引くことで、生き生きとした個の能動性がまち(1階)に表出し、生き生きとした姿になると思っています。私はそんな日常を作りたいと思って日々、1階の専門家として仕事をしています。

 

 

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考察

人の幸福(豊かさ)とは何かを考えさせられる内容でした。特に今回の講演で豊かさのキーワードになったのは “他者との関わり”、“能動性の発露”、“(自分が他者が)自由・多様・許容しやすい環境 ”です。関わり方の嗜好が人それぞれにあるとは言え、人はやはり人の中に存在していたいと思うもの。社会の中に自分らしく安心して存在できる場所があることが、一つの豊かさの指標なのではないでしょうか。

価値観が多様化する中で、全員が満足するまちや公共施設をつくることは、不可能と言えます。だからこそ、敢えて使い方を決めない、枠を決めない、けれど薄っすら補助線を引いておく。その補助線を何となく感じて、人々の能動性が爆発する。能動的に動くことは、自分らしさであり、それを受け入れてくれる受け皿が「喫茶ランドリー」なのだと思います

また、幸福学の研究者、前野隆司さんによると、幸福度を高めるには4つの因子が必要なのだそうです。
一つ目:「やってみよう」・・・自己実現と成長の因子
二つ目:「ありがとう」・・・つながりと感謝の因子
三つ目:「なんとかなる」・・・前向きと楽観の因子
四つ目:「あなたらしく!」・・・独立とマイペースの因子
能動的に動くことは、一つ目、四つ目の因子であり、そしてその能動性によって生まれた人との関係性が二つ目の因子、受け入れてくれるという安心感から生まれる三つ目の因子、能動性の発露は結果的にそこにいる人々の幸福感を絶えず生み出しているように思います。
幸福感というものは内的な発生であり、時代によって変化していくものかもしれません。けれども喫茶ランドリーは、そこを利用する方々が能動的に考え、それと共に器も変化させ、30年後も40年後も生き生きと存在している・・・、そんなことを期待せずにはいられません。

 

引用
(※)前野隆司 「幸せのメカニズム」2013年12月

 

 

主催:中電不動産株式会社
協力:株式会社デンソー
企画・運営:未来デザインラボ(株式会社ラ・カーサ、1/ 千、SUVACO 株式会社)

 

 

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